伊東を掘りおこそう!

歴史

将軍様も癒やした伊東の湯 樽で運ばれ江戸へ

今も昔も 人々は伊東の温泉で温まった

江戸時代の温泉番付表 伊東は前頭に入っている   出典:熱海市立図書館所蔵

伊東の市街地には江戸時代から有名な温泉が湧出していました。「いとうの湯」という呼び名で知られています。徳川家康の側室・養珠院妙紹日心大姉(お万の方)は、日蓮の霊蹟を訪ね歩くために伊東に滞在した際に湯に入りに来たとも伝えられています。1648年(慶安3)は三代将軍家光の時代ですが、この頃、樽に湯を詰めて江戸城へ送った記録も残っています。これは一説には、養珠院妙紹日心大姉(お万の方)が家光に献上したのではないかと考えられています。

温泉として特に有名だったのは竹之内村地内の「和田湯」で、1811年(文化8)に温泉地の利用を巡って竹之内村と和田村の間で争論が起こっていますが、それほどに重要な資源となっていたのでしょう。

太平な時代が続いた江戸では、やがて上級階級のみならず庶民も湯治で温泉場へ行くことが楽しみの一つとなり、関所を越える移動には「湯治願い」を出して3週間ほども滞在したといわれています。さらには将軍だけではなく庶民も樽に詰めて取り寄せた各地の温泉を楽しむことが流行し、伊東からも「豆州湯河原温泉」(神奈川県の湯河原とは別)という名称で出荷されたそうです。

江戸時代には料理や宿などさまざまな「番付」をするのが流行り、温泉番付も作成されました。番付にはいろいろなバージョンがあったようですが、豆州湯河原はいずれも前頭以上に記載され、当時から人気が高く、温泉好きだった日本人を癒やしていたことがうかがえます。

『請取申桶師御扶持米之事』 伊東の湯を御城に上げるため桶師に御扶持米が支給されたことを示す 〔玖須美区有文書W-2〕

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