伊東を掘りおこそう!

歴史

産物を載せて船は江戸へ 伊東の産物が江戸を支えた

豊かな自然の恵みは江戸でも大人気だった

押送船は葛飾北斎(江戸時代の絵師)の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」にも描かれている。 この押送船は房総や伊豆から江戸へ鮮魚などを運んでいた

江戸時代、伊東は16の村に分かれていました。それぞれ、海や山からの産物を江戸へ出荷していましたが、その内容を見ると、山からの恵みは、人気商品だったヤマモモや、薪や炭、材木、板、わさび、椎茸、お茶、柴胡(生薬の原料)などとなっています。海からの恵みはいけすを造った押送船で、アワビ、イセエビ、ナマコ、タイなどの活魚を出荷したほか、加工品も多く出荷されました。和田村や新井村には魚を仕入れる問屋があり、船を持ち江戸へ送る廻船問屋もありました。海辺の村は、山間部の幸を仕入れ、海産物とともに江戸へ出荷するようにもなっていきました。美食を求める江戸の人々の要求に応えるとともに、売上をあげることが物流ルートを造る一方、商取引の仕組みも作られ、また製造業の仕組みも作られていったのです。

もちろんこの時代には伊東だけではなく、全国各地からさまざまな産物が江戸に送られていましたが、山海の幸に恵まれた伊東の品々は、1721年(享保6)には50万人に膨れ上がっていた江戸の人々の食欲を満たし続けたことでしょう。

伊豆のあたりで使われていたという押送船 出典:船鑑(明治6年出版) 国立国会図書館デジタルコレクションより

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