伊東を掘りおこそう!

歴史

温泉客が押し寄せた松川地区の木造三階建て旅館

海・山・川・温泉。自然の恵みに人々は伊東を目指した

【写真 1】 昭和30年頃の松川と温泉旅館

【写真1】は昭和30年頃の松川(大川)からの大川橋と川沿いの温泉旅館の様子です。背後に山、旅館からは松川が望め、また海も広がっている伊東の温泉地は、大正年間から昭和にかけて大盛況となり、川沿いには木造三階建ての旅館が建ち並んでいました。

【図 1】 昭和8年頃の伊東温泉の鳥瞰図(部分)

【図1】は1933年(昭和8)の伊東を描いた鳥瞰図ですが、旅館と並んで別荘の多さに驚きます。一等地にある北里別荘は39ページで紹介している北里柴三郎の別荘です。この時点ですでに多数の旅館があったことも分かりますが、1938年(昭和13)に伊東線が開通すると、観光客の数はますます増えました。

しかし、3年後には太平洋戦争開戦となり、観光する人も減少してきました。戦時中には松川沿いの旅館群は疎開児童の受け入れ先や、傷病兵の受け入れ施設にも転用されるなど、戦争の影響を受けていったのです。

戦後は混乱の時代が続きながらも人々は力を合わせて復興を目指し、再び伊東は温泉観光地として注目を集めるようになります。

【写真1】に写された風景は、3年後の大災害・狩野川台風後は、大きく変化してきますが、大正年間に建築された、旅館いな葉は、国の登録有形文化財に登録され、多数使われた銘木や室内の細かい意匠はそのままに、現在はケイズハウスという名のゲストハウスになっています。並びにある東海館もまた昭和3年建築当時の温泉旅館特有の様式を残したまま現存し、見学や日帰り温泉利用ができる施設となっています。今も川沿いの道はタイムトリップ感覚を楽しめる散歩道として多くの市民や観光客に愛されています。

東海自動車が発行した伊豆ガイドブック

関連記事

PAGE TOP