歴史 テニス、スキューバダイビング……。人々は伊東を目指した 2021.11.06 Tweet Share Pin it バブル期の華やかなレジャーが花開いた 80年代のダイバーで賑わうIOPのエントリーポイント、混んでいる時は 順番待ちだった 伊豆海洋公園ダイビングセンター提供 1980年代半ばから90年代はじめにかけて、日本はバブル景気と呼ばれる好況期になりました。この頃、伊東にはレジャーを楽しむ人が次から次へ訪れました。目的の一つは海。1989年(昭和64/平成元年)に公開された映画「彼女が水着にきがえたら」の大ヒットによりブームとなったスキューバダイビングを楽しむ人々が、ダイビングのメッカである伊豆海洋公園(IOP)を訪れるようになったのです。IOPは初心者から上級者まで楽しめるダイビングスポットで、海中は大室山が噴火した際に海中に流れた溶岩が作り出す複雑な地形によって、大型の回遊魚から底生生物や魚類、岩に定着して大きくそびえるウミトサカなどの腔腸動物が見られ、ダイバーにとって夢のような光景が広がっています。 IOPダイビングセンターを設立した益田一は、海洋生物の写真を撮り図鑑を多数制作し、日本のダイビング界に大きな足跡を残しています。IOPでダイビング技術を修得したダイバーからは、日本を代表する水中カメラマンが多数輩出されました。また、海中の素晴らしさは海外の水中カメラマンも魅了し、『ナショナルジオグラフィック』に世界各地の水中写真を掲載した巨匠・デヴィッド・デュビレも多数の写真をここで撮影しています。 一方、伊豆高原ではこの時期、先駆けとなったロヴィングを中心に、テニスコートを併設したペンションが建てられ、大学などのテニスサークルの隆盛も相まって、テニス合宿を楽しむ人々で溢れました。 伊東ではダイビングもテニスも、アフターにグルメや美しい景色、観光施設、温泉を楽しめることなどで、さらに人気を高めていったのです。 Tweet Share Pin it 全国に伊東の名を知らしめたハトヤと温泉街 前の記事 伊東の著名人:1 木下杢太郎 次の記事