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歴史

みかんの花咲く丘

戦後童謡最大のヒット曲が人々をなぐさめた

敗戦を迎えた1945年(昭和20)8月15日から日本では戦後の生活が始まりました。そんなときに人々の心をなぐさめたのが童謡「みかんの花咲く丘」です。作詞を担当したのは加藤省吾。「やさしい和尚さん」や「かわいい魚屋さん」でも知られる童謡作詞の第一人者です。  作曲は海沼實。「お猿のかごや」「里の秋」で有名な作曲家です。「みかんの花咲く丘」は、1946年(昭和21)にNHKラジオが都内の本局と伊東市内の小学校で二元生放送を行う際に、当時人気絶頂だった童謡歌手の川田正子に歌わせる歌を作るよう、海沼に依頼されたものでした。

しかし前日になっても曲はできあがらず、都内の自宅で苦しんでいたときに偶然訪れてきた加藤に作詞を依頼、加藤は「静岡からの放送」ということからイメージを膨らませ、たった30分で歌詞を完成させました。

その詞を手に、伊東への列車に乗った海沼は、車内でもまだ曲が浮かばなかったのですが、やがて窓外に広がる海が見えました。場所は神奈川県国府津駅。そこから着想が生まれ、宇佐美駅に到着したときにはメロディが完成していたという離れ業で生まれたのがこの曲だったのです。

伊東に着いてからは翌日に備え川田正子と歌の特訓、当日、川田は見事に歌い上げます。ただ1回の放送のために作られた曲はみかん畑や海の風景が目に浮かぶような明るい三拍子で、多くの人の心をつかみ、たちまち話題となりました。そして、戦後の童謡では最大のヒットとも言われるほどの人気を博したのです。

宇佐美には「みかんの花咲く丘」歌碑があります。小高い丘の上にある歌碑の背後には、歌そのままのみかん畑、遠く広がる相模灘が見渡せます。

 

亀石峠に向かう途中に「みかんの花咲く丘」の碑が立ち、 宇佐美の町を見下ろしている

作詞の加藤省吾氏 写真:加藤三智氏提供

作曲者の海沼實氏  写真:一般社団法人日本童謡学会提供

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