伊東を掘りおこそう!

伊東の宝物

箱寿司 お祭りやお正月にはつきものの郷土の味 交流の証でもあった

伊東の郷土料理の1つに「箱寿司」があります。かつては各地域の例大祭やお正月には欠かせないものでした。それは懐かしい故郷の味というだけではなく、人と人の大切な交流の機会にもなっていたのです。
しかし大変な手間がかかることもあり、近年は作られることも、食べた経験を持つ人も少なくなりました。市販品としての箱寿司は今もありますが、手作りのものはまた格別の味だったようです。
かつては当たり前だった郷土の味と風習はどのようなものだったのか? 伊東ブランド研究会オブザーバーの青木敬博さんが、広野で「箱寿司を作っていた」経験を持つお二人のお母さんを探し出し、貴重なお話を聞き取りしてくださいました。

魚のおぼろがメイン 箱寿司ってこんなお寿司

箱寿司は、木枠の箱に酢飯を詰めて上に具材を並べ、木の蓋をして押したものです。具材のメインは魚のおぼろ。おぼろとは、ほぐした魚の身を弱火で炒って砂糖や醤油、みりんなどで味付けしたものです。
なんの魚を使うかは地域によって違うようですが、サバやアジを使うことが多いそうです。
おぼろの他の具は、桜えび、しいたけの煮物、茹でたにんじんの千切り、卵焼きと青い野菜(秋は絹さや、お正月はほうれん草など)で、手に入った珍しいものがあれば加えることもありました。

 

“お配り”の量はなんと6升分にもなった!

箱寿司が登場するのは秋の例大祭のとき。また、お正月に作る家庭もあったそうです。
具材はほぼ同じですが、秋の例大祭の時に入れる青物としての絹さやはお正月にはないので、代わりにほうれん草を使うこともありました。

「ほうれん草をさっと茹でて、醤油でちょっと洗って固く絞って使いましたよ」
とは広野のAお母さん(年齢?)の話です。

箱寿司は自分の家で食べるものでもありますが、大多数は“お配り”するために作りました。
かつての伊東では、例大祭のときに各家庭で箱寿司を作り、親戚や知り合いに配り合うという習慣があったのです。
Aお母さんの家では、2日間にわたる例大祭の1日目に4升、2日めに2升もの米を炊き、なんと計6升ものご飯をすべて箱寿司にしたそうです。

 

 

Bお母さん(年齢?)の家でも同じようにお祭りのときに箱寿司を作りました。
Bお母さんは茅ヶ崎から伊東にお嫁入りしました。結婚してすぐにお正月が来て、お姑さんに作り方を教わりました。
「アジを3キロ買ってきてと言われて仰天したんですよ。茅ヶ崎では寿司は握りのようなお寿司でしたから、ネタがアジだけのお寿司を作るのかしら? と思いながら買いに行ったものです」
買ってきたアジをまず全部さばいてワタを出し、大きな鍋に湯を沸かしてそれをぬるま湯にし、その中で皮を剥いでいきます。つぎに身をほぐしながら骨も取り、身だけにしたものを2回水洗いします。
「洗いすぎると美味しくないのではと思ったんですが、2回洗わないとくさみが抜けないんです」(Bお母さん)。
洗い終わった身を固く絞り大きな雪平鍋に入れて砂糖と調味料(しょう油やみりんなど)を入れて弱火で炒っていきます。サラサラのおぼろになるまで炒りつづけました。
ご飯は昭和40年代までは羽釜でガス火を使い炊いていました。その後は電気釜で炊くようになりましたが、夕方の“お配り”に間に合わせるには、朝5時に起きて炊飯スイッチを入れなければならなかったそうです。
おぼろを作ったり、人参を千切りにして湯がいたりしいたけを煮たりなどの仕込みも大変で、夜なべ仕事になることもしばしばだったそう。

炊きあがったご飯を半分ひっくり返してしゃもじで十字のように切込みを入れ合わせ酢(酢、塩、砂糖を合わせたもの)を入れ、しゃもじで切るようにしてなじませて酢飯を作ります。ある程度冷ましたところで木枠の箱にご飯を詰めていきます。
その上にできあがったおぼろや具材を乗せていくのですが、お母さんたちはともかく具材をたくさん乗せたそうです。
「だって、かやく(具材)が少ないとケチだって言う人がいて(笑)、だからご飯を少なめにしてかやくをたっぷり乗せました」

 

お酢も「優選」という業務用の特別なお酢を使ったそうです。普通のお酢よりも味が強く、醤油をかけないで食べる箱寿司にはぴったりだったとのこと。お母さんたちはそこにちょっとした工夫も凝らしました。

 

「10月の秋祭りの頃はみかんが青くて、それを2個ぐらい絞ってお酢に入れると、おみかんの香りがしてお酢の味がちょっと違ってくるんです。私が自分で考えてやったんですが、美味しかったですよ

家紋の焼印がついた箱が行ったり着たり

広野のお母さんたちの家では、A5ぐらいの大きさの木枠の箱で作った箱寿司は型から抜いてお寿司だけを配りました。
もっと大きな木枠の箱もあり、それは箱ごとお配りしたそうです。
さらに2日めには箱寿司のほかにお赤飯もお配りしたそうです。

「お赤飯も2升ぐらい炊いて、これは木枠の箱ではなくてプラスチックの赤い縁がついたお祝い用の容器を使ったりして、箱寿司といっしょに配りました」

箱寿司は一般的には押し寿司の一種ですが、A5サイズの木枠の箱の箱寿司はしっかり押して固め、大きな木枠の箱はそれほど押さないで作ったそうです。

そして、大きな木枠の箱には、家紋の焼印が入っていたそうです。

「伊東の中でも新井は一番早く、夏にお祭り(例大祭)があって、夏に新井から家紋の焼印入りの箱でお寿司が来ました。こちらが秋祭りになると、洗った箱と、箱寿司の中身を抜いたものをプラスチックのお弁当容器に家族の人数分入れて、お返ししたんです。ああ、でも秋まで新井から来た箱を保管して、秋のお祭りでこちらのお寿司を詰めてお返ししたこともありますね」

地域を超えての交流も、こうして行われていたのです。

翌日の焼きずしが美味しかったんです

昔は余った箱寿司を翌日に焼いて食べたこともあったそうです。

「私が嫁に来た頃は、まだ家に囲炉裏がありました。祭の翌日になると、おじいちゃんが火をおこして、おばあちゃんが五徳を2つ並べて半月のような形にするんです(五徳の形態が不明。要確認)。その上に余った箱寿司を載せて、ていねいに焼いて食べました。固く押してあるから崩れませんよ。下のほうが適当におこげになるので美味しくてね。みんな楽しみに食べたもんです」

お祭りやお正月といえば親族が集まって食卓もにぎやかだったことでしょう。その中心にはいつも箱寿司があったのです。大量に作り、お配りした文化は昭和40年ぐらいが最も盛んだったようです。

お母さんたちの子どもさんたちは、今も「昔の箱寿司が食べたい」というときがあるそうです。

魚のおぼろを使う箱寿司は全国でもあまり無いようです。昔と同じようにお配りすることはなくなっても、伊東ならではの味を家庭で作り、次の世代にも引き継いでいきたいですね。

過去の押し寿司の写真が見つからなかったので、モニターツアー時の押し寿司体験の写真をご覧ください。

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