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伊東の宝物

来宮八幡宮神社のお祭り

伊東市各地で行われている秋祭りは、地区によって少しずつ違いがあります。2日に渡り行われ、1日目は宵宮祭、2日めが本祭りという流れは同じですが、それぞれが地域の特性に合わせたまつりを執り行っていて、見比べてみるのも楽しいものです。

今回は八幡野地区のお祭りについて、地元の方に伺ったお話を記事にしました。また、城ヶ崎文化資料館発行の『増補・目で見る八幡野の秋祭りーー八幡宮来宮神社の祭礼――』小林一之著 を参考にさせていただいています。

お話を伺った方:神主 高橋克和さん 伊東市議 佐藤周さん 八幡野地区区長 太田吉彦さん  総代 太田義和さん 太田之通さん 伊東市議 青木敬博さん

伊東市で最も早い秋祭り

伊東市内各地の秋祭りの中でも、トップランナーが八幡野です。氏神様は八幡野来宮神社。かつては旧暦の8月9,10日に行われていましたが、現在は9月15日直後の連休となっています。

2日にわたり行われ、1日目を「お下り」2日めを「お上り」と呼んでいます。他の地区と同じように、1日目は神様が神輿で海近くのお仮屋までお下りされ、2日めは海から地域全体を巡り、神社にお上りし、お戻りになります。

1日目は午後1時過ぎから社務所にお祭りを運営する社人、神主、氏子総代、神輿を担ぐ役の人々、区の役員などが集まり、祭礼が開始されます。
神主がお祓いを行った後、本殿に安置されている御霊をお神輿2基にそれぞれ移します。
これを御霊うつしの神事といいます。
御霊は神主以外誰も触ることも見たこともありません。
どのようなものであるかは秘されており、『目で見る八幡野の秋祭り』によれば、かつて神主をされていた方の言として『晒しを幾重にも巻いたもの』ということで、晒しのしたのものが何なのかは誰にも分からないようです。
御霊うつしが終わると、神輿は庭にある「仮所」に移動されます。

社務所では「神オロシ」の儀式が行われます。
これは、神様に「お祭りが始まりましたので、村里に降りてきてください」と呼びかける意味があるそうです。
神籬(ひもろぎ)と言われる神をお迎えするための依り代を中心に祭礼関係者が座し、白酒(お神酒の一種)をいただいたり、神歌を歌うなどして儀式を行っていきます。

だいたい午後3時頃、儀式が終わると神輿は神社を出発し、「下にー、下に」と声をかける露払いが先頭、続いて2名が太鼓をたたき、その後に榊や御幣、お神酒すず(お神酒を入れた徳利)などを持った役割の人々が続き、担ぎ手8人に担がれた神輿が続きます。

八幡宮来宮神社は2基の御輿があります。これは、もともとは八幡宮と来宮神社は別々の神社だったのですが、延暦年間に合祀して八幡宮来宮神社となりました。もとは2つの神社だったので今も2つの神輿があるというわけです。

お下りのときは、露払い以外は口紙をくわえ、声を出すことはありません。八幡野では二つ折りにした榊の葉の間に紙をはさんだものを口紙としてくわえるそうです。

渡御の列は八幡野地区を巡りながら海岸沿いのお旅所(お仮所)まで続きます。そして、神輿が御仮屋についてから八幡野秋祭りの特徴の1つである万度が始まります。

  • 万度を何度も差せる男はスター!

万度とは柱の上に赤い幕を巻いた四角い箱を付け、花飾りや人形(花咲かじいさんや桃太郎など。毎年若衆が作る)などを付けたもので、選ばれた人(男性)がこれを担いでくるくると回り、その後、地面に叩きつけるという動作を繰り返します。この動作を「万度を差す」といいます。この動作は、悪霊を退散させるためのものと言われています。万度は1つが60キロ以上あるので、回転したあとに打ち下ろすのは大変。腕の見せ所でもあります。

振り下ろし役の人は口紅をつけて襦袢を着るなどして女装して万度を指します。この理由ははっきり分かっていません。地元の方の中には「お神楽の一種のように、美しく差せば神様が喜ぶからじゃなかな……? それと、女の人(女装した男性)が重いものを持ち上げて振り下ろすというギャップの面白さを神様に見ていただくお神楽の一種じゃないかと考えています」と言う方もいます。

地元の方たちが言うには、万度を何回回し続けられるかは周囲への見せどころで、長く回し続けられる人はスター、女性にもモテるということです。万度の役になった人は、何ヶ月も前から持ち上げては回転し、振り下ろす動作を練習するそうです。

神輿がお旅所に入るまでは、露払い以外口を利かず、音も太鼓のみですが、万度が出るとシャギリが始まり、にぎやかになっていきます。こうして1日目は暮れていきます。

  • 2日めは「お上り(おのぼり)」

2日めは午後から始まり、昼過ぎに関係者がお旅所に集合します。お旅所の前でお祓いを受け、お神酒を交わしたあと、2基の御輿がお上りを始めます。このとき、松原地区や湯川地区では神輿が海の中まで入りますが、八幡野地区は入らずにお上りしていきます。

お下りと同じように、先頭に露払い、太鼓、その後は榊や御幣、お神酒すずを持った人が続き、宮司さんの後ろに神輿が続きます。

その後ろには万度と山車が続きますが、八幡野の特徴はこの山車の中に胡麻幹屋台があることです。これは胡麻の殻のついた茎を使って作った屋台です。『目で見る八幡野の秋祭り』には、「この屋台は全国的に見ても非常に珍しい」と書かれています。

神社に到着すると、御歌を捧げたり、祭事関係者にお神酒が振る舞われたりという儀式が続き、おめざめ式(神主と社人が本殿をお祓いしながら羽目板を二度ずつ叩くなどの儀式をする)のあと、本殿左奥のムロにお神酒をお供えします。『目で見る八幡野の秋祭り』では「このムロは、下田の白浜神社につながっていて昔は八幡野の祭りが終わったことは、このムロに神酒を納めることによって白浜明神に判るのだという。」と解説されています。

 

この後、神輿から御霊を再び社殿にお戻しします。次に火焚(ひたき)神社の前で「オヒタキ様の式」を行います。「みふね〜、おはま〜」と唱えながら、神事を行い、社務所で直会を行って祭礼は終了します。

社務所で行われる神事は基本的に祭礼関係者のみで行われ、一般の人が見ることはできないものとなっています。

  • なぜ?!最後に胡麻幹屋台を投げるわけ

さて、神輿がお宮に入っていく頃、本殿前の庭では万度と胡麻幹屋台が上がってきて、いよいよクライマックスとなります。万度を差す若衆は繰り返し、万度とともに回転しては差し、また交代し、回転しては差し……と、観衆の前で大盛りあがりです。何度も差すうちに万度が壊れてしまうのもまた、祭りならではだそうですが、地元の方に聞いたお話では、

「万度は結構値が張るもので、壊されてしまうと困ってしまうんです。なので、中に重しを入れて(重くして)みたこともあります。でも、若衆は『地面の神様を起こすんだから、しょうがない』というので、諦めたことがありました」

という事情もあるようです。

 

万度の後ろから上ってきた胡麻柄屋台は、お庭を一周した後に、鳥居に続く階段から、なんと突き落とされてしまいます。丹精込めて作った屋台をなぜ?! と思いますが、これも八幡野に伝わる祭礼行事の一つ。占いの意味もあって、落ちる場所がどこかによって、その年の豊作や豊漁の様子がわかるのだそうです。もちろん、初めて見る観光客などはビックリしてしまいますが、1つ1つの行いに祭りの意味があるのです。

  • 深刻な人手不足

しかし地域の方々が心配しているのは、人口減少です。お祭りはたくさんの人が関わって成り立つもの。お下りの日の山車は、かつては町内で競い合い、飾り付けに凝ったりしていました。しかし、今は山車を引く人が減ってしまったのです。そこで、大室高原や岡地区の方々に声をかけて参加してもらっているそうです。

少子化も心配事の1つ。八幡野地区には4つの町がありますが、4町内の子どもたちはすべて八幡野小学校に通っており、その数も小学校全体300人に対して150人ほどだそうです。子どもが減っていってしまえば、1200年続いていると言われている祭りも継続が難しくなってしまうのではないかと、今、お祭りに関わっている大人たちは心配しています。

「人の数が減ってしまうと、以前はたくさんの人数でやっていたことができなくなって、じゃあ形を変えて……と簡素化していくことも考えられますよね。でも、祭りで行うことには1つ1つ意味があり、それは土地の歴史と関係しているんです。歴史が変わっていってしまっては、八幡野らしさがなくなってしまう。変わった以後のものしか知らなければ、それしか継承できないから、気がついたらまったく変わった形になってしまうことだって考えられますよね。どうにかそうならないようにしたいのですが」

という声もありました。

八幡野らしいこの秋祭りが、いつまでも継承されていくことを願ってやみません。

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