伊東を掘りおこそう!

歴史

俎岩に放置された日蓮を伊東の漁師が救った

伊東に残る日蓮宗の開祖・日蓮の足跡

川奈の海に立つ日蓮の像 金子浩之氏提供

1253年(建長5)に32歳で日蓮宗を立教開宗した日蓮は、伊東とも深い関わりがあります。「立正安国論」で災害や疫病などは民衆や幕府が間違った信仰をしているからと記したことで幕府から流罪を言い渡され、鎌倉から伊東へと流されたのです。伊東ではさまざまなエピソードがあります。地頭であった伊東朝高(伊東八郎左衛門)は、幕府から日蓮を監視するよう言われていましたが、大病で寝込んでいたときに日蓮の祈祷で回復したため、感謝の証に海から引き上げた金色釈迦仏を差し上げたそうです。日蓮はこれを大切にし、常に身につけていたと言われています。朝高の館跡には佛光寺が建てられ「日蓮聖人祈祷霊験之地」という案内が今も建っています。祈祷のあと、朝高が日蓮に屋敷内の毘沙門堂を提供し、日蓮はここで流罪の3年間を過ごしながらいくつもの書物をかきあげました。この毘沙門堂跡は佛現寺となっています。

また、海上の俎岩に置き去りにされた日蓮を助けた船守・弥三郎夫婦はしばらく岩屋に日蓮を匿ってお世話したと伝えられています。弥三郎夫婦の墓は日蓮像とともに蓮慶寺に祀られています。

法華経を唱えることを至上とし、誰もが悟りを開くことができるという日蓮の教えは徐々に広まり、多くの人の心のよりどころとなっていきました。俎岩がどこにあったのかは正確には分かっていませんが、川奈にある俎岩には海に向かい立つ日蓮の像が建てられています。

伊東朝高の館跡に建つ佛光寺 出典:『図説伊東の歴史』

流罪となった日蓮が置き去りにされた地に建つ蓮着寺

日蓮を助けた夫婦の住居跡に建った蓮慶寺

昔の絵ハガキの俎岩 八幡野・山川氏寄贈

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