伊東を掘りおこそう!

歴史

リゾート地 伊豆高原の誕生

溶岩台地が産んだ屈指のリゾート地・伊豆高原

世界から3000種以上のサボテンが集められてオープンした伊豆シャボテン公園

現在はリゾート地として知られる伊豆高原も、かつては観光施設がない場所でした。それが変貌を遂げたのは伊豆急行が伊東〜下田間に鉄道を開通させた1961年(昭和36)以降です。 伊豆高原は大室山が噴火した時にできた溶岩台地で、温泉は湧いていませんでした。そこで伊豆急行株式会社などでは、この地域の分譲開発とともに、湯の沢から温泉を引いてくるという計画を立て、実行したのです。1965年(昭和40)からは企業の保養地や寮なども建設され、開発にますます拍車がかかるようになりました。1959年(昭和34)に開園した「伊豆シャボテン公園」に続き、 1965年(昭和40)には「伊豆ぐらんぱる公園」が開園、 美術館やミュージアムなどもオープンし、日中はこうした施設や城ヶ崎などをめぐり、夜は宿で過ごす周遊型の観光客が大量に訪れるようになりました。対島地区は開発ラッシュとなり変貌の度合いが激しかったため、1973年(昭和48)には伊東市が土地開発に規制をかけるほどでした。  その後は規制に沿った開発が進む形でリゾート化していきます。東京からも近く、海・山の景勝地に恵まれた上、観光施設が揃った伊東市南部はこうして屈指のリゾート地として発展したのです。

ちなみに「高原」と言われていますが、この一帯は溶岩台地です。約4000年前の大室山の噴火の際に流れ出た溶岩がこの平坦な地形を作り上げたのです。景勝地として名高い城ヶ崎の門脇吊り橋からは、溶岩流が作り上げた柱状節理など珍しい地形を楽しむこともできます。

岩室山から大室高原をのぞむ

別荘地は新しい温泉文化村ということで開発がすすめられた。

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