伊東を掘りおこそう!

歴史

眼病平癒なら日朝さん

夢のお告げで見いだされた身延山久遠寺貫主・日朝は眼病守護の神

妙秀山朝善寺の日朝坐像

日朝(1422〜1500)は日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の第11世貫主を務めた名僧です。生まれは宇佐美で、8歳のときに三島本覚寺の開祖・日出という僧に師事して仏の道に入りました。この出会いは不思議なきっかけで、ある夜、日出の夢に日蓮が現れ「我を見んと欲せば、宇佐美の郷に行け」とお告げを受けたのです。そこで宇佐美に出向いたところ日朝と出会い、弟子にしたというのです。

日朝は修行を重ね、1462年(寛正3)身延山久遠寺の第11世貫主となります。当時の久遠寺は信者が参拝するには不便な場所にあり、狭くもあったため、身延町の現在の場所に移動させ、門前町も整備したところ、多くの信者が通えるようになりました。当時、衰退しかけていた身延山は日朝により中興され、日朝は身延山久遠寺の中興の祖として弟子や信者から篤く信頼されたといいます。

伊東には日朝の生家「妙秀山朝善寺」があります。毎年初夏にはホタルの観賞会も開かれ、地域のみならず観光客にも愛される寺として知られています。

また、日朝は眼病守護の神ともされています。日朝は心身を宗門興隆に捧げ尽くす生活を送るうち、61歳のときに両目を失明してしまうという不運にみまわれます(幼児期という説もあり)。しかし「自らの不徳」としてさらに修行に励んだところ、なんと眼病が治ったそうです。その経験をもとに『眼病消滅本尊』を著し、「後世、法華経を信仰する人々が眼病に苦しんでいたら守護して平癒させる」と願を立てたということにちなんでいます。

日朝に由来する寺院は全国にあり、眼病平癒のお守りや御札を頒布する寺院も多く、眼病に悩む人の支えになっています。

妙秀山朝善寺の絵ハガキ 昔から名勝地として有名だった

関連記事

PAGE TOP