伊東を掘りおこそう!

歴史

全国に伊東の名を知らしめたハトヤと温泉街

地球からの恵み・温泉が伊東を世界的な存在に押し上げた

伊東の知名度を上げたハトヤホテルは当時としては斬新な設計だった

伊東が著名な観光地となった背景に、温泉の存在があったことは間違いありません。江戸時代には将軍はじめ幕府要人が伊東から温泉の湯を運ばせるほど(参考:30ページ)効能豊かな泉質は、その後の時代も人々に愛され続けてきました。大正時代初期になると、掘削された温泉を引いた木造3階建て旅館が松川の両岸に建ち並び、訪れる人は絶えないほどの人気となりました。

温泉旅館滞在が主体だった中、大型ホテルも登場してきました。1947年(昭和22)には岡地区にハトヤホテルがオープンします。1961年(昭和36)からテレビで放送されたCMには「伊東」の地名が盛り込まれたため、観光地としての知名度はさらにアップしました。このCMソングは、まだ名が知られる前の野坂昭如※が作詞したことで有名です(作曲はいずみたく※で、この2人はゴールデンコンビと呼ばれました)。伊東は名実ともに一大観光地となり、1970年(昭和45)には、毎週末に10万人の観光客が訪れるほどになりました。

伊東市の宿泊客数のピークは1991年(平成3)の394万人です。日帰り客のピークも同じく1991年で501万人となっています。しかし、時代の変化とともに客数は緩やかに下がり、2017年(平成29)には宿泊客294万人、日帰り客数371万人となっています。再びにぎやかな伊東を取り戻すために、市を上げてさまざまな取り組みがなされています。

現在は、レトロフューチャーとして再び脚光を浴びている

昭和40年代の夜のキネマ通り

伊東駅の団体客 牧野正氏提供

按針祭は仮装のパレードも行われていた 青木敬博氏提供

駅前は溢れんばかりの人で賑わい  観光コンクール写真より

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