伊東のとっておきの宝物をガイドと巡る、日帰りツアーのご案内。
ツアー日程
2022年12月24日(土)
2023年1月8日(日)1月14日(土)1月21日(土)1月28日(土)2月4日(土)2月11日(土・祝日)
コース内容
伊豆高原駅(乗車地)11:30集合/11:40発 === 伊東駅(乗車地)2:05集合/12:10発 === ◎川奈ホテル(カレーライス+館内ツアー)12:30/14:00(90分)=== ◎東海館(館内案内付き)14:20/15:20(60分)=== 伊東駅(降車地)15:25着 === 伊豆高原駅(降車地)15:55着
凡 例:===貸切バス、 ・・・・徒歩 観光施設:◎入場観光、○下車観光、△車窓観光
※下記のスケジュールは、旅行実施時の状況などの都合により多少変更する場合もありますのであらかじめご了承ください。
1928年(昭和3年)に稲葉安太郎により日本の大工の技術を集めて作られた和風旅館。随所に棟梁たちの技を見ることが出来る。
現在は文化施設として、温泉文化を後世に伝えている。
伊東市指定有形文化財
上の【写真1】は昭和30年頃の松川(大川)からの大川橋と川沿いの温泉旅館の様子です。背後に山、旅館からは松川が望め、また海も広がっている伊東の温泉地は、大正年間から昭和にかけて大盛況となり、川沿いには木造三階建ての旅館が建ち並んでいました。
【図1】は1933年(昭和8)の伊東を描いた鳥瞰図ですが、旅館と並んで別荘の多さに驚きます。一等地にある北里別荘はブランドブックで紹介している北里柴三郎の別荘です。この時点ですでに多数の旅館があったことも分かりますが、1938年(昭和13)に伊東線が開通すると、観光客の数はますます増えました。
しかし、3年後には太平洋戦争開戦となり、観光する人も減少してきました。戦時中には松川沿いの旅館群は疎開児童の受け入れ先や、傷病兵の受け入れ施設にも転用されるなど、戦争の影響を受けていったのです。
戦後は混乱の時代が続きながらも人々は力を合わせて復興を目指し、再び伊東は温泉観光地として注目を集めるようになります。
写真に写された風景は、3年後の大災害・狩野川台風後は、大きく変化してきますが、大正年間に建築された、旅館いな葉は、国の登録有形文化財に登録され、多数使われた銘木や室内の細かい意匠はそのままに、現在はケイズハウスという名のゲストハウスになっています。並びにある東海館もまた昭和3年建築当時の温泉旅館特有の様式を残したまま現存し、見学や日帰り温泉利用ができる施設となっています。今も川沿いの道はタイムトリップ感覚を楽しめる散歩道として多くの市民や観光客に愛されています。 【伊東市観光ブランドブック34ページより 】
1936年(昭和11年)に大倉喜七郎らにより当時の最新技術を集めて創建された高級リゾートホテル。
2016年(平成28年)には国の登録有形文化財に指定され、歴史を後世に継いでいます。
1936年(昭和11)に開業した川奈ホテルは、大倉財閥の二代目であり、ホテルオークラの創業者でもあった大倉喜七郎によって建設されました。設計は学士会館や日本橋高島屋を手掛けた著名な建築家・高橋貞太郎です。大倉は、もともとは乗馬ができる牧場を作るつもりでしたが、溶岩台地が馬の蹄に良くないことを知り、ゴルフコースに変更します。富士ゴルフコース(チャンピオンコース)は米国ゴルフマガジン誌『世界ゴルフ100選』に選ばれ続けています。
大倉は国際的にも通用する、本格的なリゾートホテル建設を目的に川奈ホテルを造りました。その狙いの通り、国内外の賓客が多く滞在しています。1954年(昭和29)には、新婚旅行で日本を訪れたマリリン・モンローとジョー・ディマジオも滞在しました。また、昭和天皇も皇后と足を運ばれましたし、スウェーデン国王夫妻も川奈ホテルを訪れました。
政府要人もよく利用し、1955年(昭和30)には当時首相だった鳩山一郎が静養、1998年(平成10)には当時の首相・橋本龍太郎が当時のロシア大統領・エリツィンと会談する場所にも選ばれました。
創業以来、格調高い英国調の空間は今も変わらず、冬にはゲストを温かく照らす暖炉は今も灯り続け、BGMも流れない静謐な空間に人々が癒やされ続けています。【伊東市観光ブランドブック32ページより 】
ランチは川奈ホテル伝統のビーフカレーライス
創業当時から大切に守られてきた伝統のカレーライス。ルーは4日間かけて仕込んでいます。角切りした牛肉は口に入れた瞬間トロっと溶けるような食感です。