伊東を掘りおこそう!

歴史

伊東の地と源頼朝

源頼朝が八重姫と密会したという音無神社

鎌倉に幕府を開き、征夷大将軍として武家政権の基礎を作った源頼朝は、伊東とも深い関わりがあります。頼朝の父・源義朝が平治の乱で敗れると頼朝はすべての官位を解かれ、1160年(永暦元年)伊豆に配流されます。このとき監視役となったのが伊東祐親と北条時政でした。頼朝が伊豆のどこにいたかは諸説あります。一般的には蛭ヶ小島(現在の伊豆の国市)といわれていますが、祐親と平家の結びつきの強さを考えると、伊豆で過ごした20年余りのうち、前半は伊東にいたと考えられるようになっています。

頼朝はやがて伊東祐親の娘である八重姫と恋に落ち、八重姫は子(千鶴丸)を授かります。しかし平家を恐れた祐親は、千鶴丸を亡き者としてしまったという悲しい史実があります。その後、頼朝はもうひとりの監視役であった北条氏の娘・政子と結ばれたのは、運命の不思議でしょうか。

頼朝と八重姫が人目を忍んで逢ったのは音無神社と言われています。その由縁か、今は縁結びの神社として多くの人が訪れる場所となっています。

伊東の巨木

伊東市のいくつかの神社には、驚くほどの巨木があります。葛見神社には胸高幹周16メートルにもなるクスノキがあり、「葛見神社の大クス」として国指定天然記念物となっています。胸高幹周は屋久島の縄文杉とほぼ同じと言われ、樹齢は千数百年にもなるといわれています。

また八幡宮来宮神社にも見事なスギ(胸高幹周5メートル)があります。樹齢は約1000年とされ「千年杉」と呼ばれ、人々に崇められています。ここには源頼朝が伊東にいた時代からこの地にあったと伝えられるシイの木「高見のシイ」(胸高幹周8メートル)もあり、市指定の天然記念物となっています。

さらに宇佐美の比波預天神社には日本最大級のホルトノキ(胸高幹周6.9メートル)があり、県の指定天然記念物となっています。いずれの巨木も幹の形や高さなど、長い時代を生きてきたことが感じられます。伊東のどのような歴史を見つめてきたのでしょうか。伊東市のこのほかの神社仏閣にも巨木があり、その自然の神秘に触れようと、巨木巡りをする人もいるようです。

八幡宮来宮神社も樹齢1000年になるスギが崇められている

葛見神社の大クスは樹齢1000年を超える

日本最大のホルトノキは残念ながら折れてしまった

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