伊東を掘りおこそう!

伊東の宝物

朝廷に納めた荒堅魚とは

人々に食べ続けられ愛され続けた魚・カツオと伊東

縄文時代にすでに食べられていたことが分かっている魚の一つにカツオがあります。古墳時代には、干したり火を入れたり煮た汁を調味料にしたりなど、さまざまに使われ、食べられてきました。

飛鳥時代の701年(大宝1)に制定された大宝律令には、賦役令の中に朝廷への調(官物=税)とする物品の中で重要なものとして堅魚が記載されています。堅魚とはカツオを素干しにしたもので、古墳時代にはすでに作られていました。海の幸に恵まれた伊東でもカツオ漁は盛んだったことでしょう。そしてその堅魚を朝廷に納めた記録も残っています。平城京跡から見つかった、各地から調を納めたときに使った荷札代わりの木簡に「伊豆国久寝郷(くすみ)」の地名が記されたものがあるのです。これは、735年(天平7)に伊豆国田方郡久寝郷から、荒堅魚十一斤十両/七連二節を納めたという記録でした。荒堅魚とは、カツオを塩水などにつけて塩漬けにしたものといわれています。

カツオは今も日本人にとって欠かせない魚類です。そして、現在静岡県はカツオの漁獲量全国1位となっています。伊東では2017年(平成29)の漁獲量はイワシ類が最も多く、カツオ類は7番目となっていますが42トンの水揚げがあり、今も人々の舌を楽しませ続けています。

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