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歴史

朝日山から発見された平安の人々の祈り 経塚

56億7000万年後の説法のためにお経を埋めた

朝日山経塚の前にある東林寺

東林寺裏にある山から地中に埋められた壺や鉢、和鏡、水晶の念珠玉、合子(蓋付きの容器)や短刀などが出土したのは1908年(明治41)のことでした。これは全くの偶然で、三十三観音石仏を移動させるための測量作業中に、海岸にしかないような礫が出たため、不思議に思った作業員が発掘して発見されたのです。  これは経塚でした。経塚とはその名の通りお経を埋めた塚です。平安時代半ば、自然災害が多いことや社会の荒廃は末法に入ったためと考えられました。そして、釈迦の死後から時が経ち、教えは残っていても悟りを得るものはいないという末法思想が広がりました。しかし、末法の世から56億7000万年後には弥勒菩薩が現れて説法し、人々を救うといわれています。経塚はその際に使う経典を埋めた未来に向けた祈り、また作善(仏縁を結ぶための行為)が形になったものといえます。  経塚は日本各地にありますが、だいたいは経典を竹の筒や陶器の筒などに入れたため、経典そのものは残っていないことが多く、朝日山経塚では経典と一緒に埋めたのであろう副葬品の品々が遺されていました。  発掘された出土物はすべて東京国立博物館に収蔵されています。博物館のデータベース(右下参照)では、その出土物の写真を高画質で見ることができます。和鏡(桜花双鳥鏡)は、調査により12世紀に京都で生み出された最新の技術を用いた工芸品であることがわかっており、細工の美しさに驚かされます。

東京国立博物館に収蔵されている出土品出典:colbase(https://colbase.nich.go.jp)

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