伊東を掘りおこそう!

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旅人目線

伊豆序説より

伊豆は詩の国であると、世の人はいう。
伊豆は日本歴史の縮図であると、或る歴史家はいう。
伊豆は南国の模型であると、そこで私はつけ加えていう。
伊豆は海山のあらゆる風景の画廊であると またいうことも出来る。
伊豆半島全体が一つの大きな公園である。一つの大きい遊歩場である。
つまり伊豆半島のいたるところに自然の恵みがあり、美しさの変化がある。

ノーベル文学賞を日本で初めて受賞した川端康成は、日本地理大系の「伊豆序説」(昭和6年)の冒頭で、伊豆をこのように綴っています。

確かに伊豆は、川端康成をはじめとする文豪や詩人に愛された詩の国、そして先のNHK大河ドラマでも取り上げられた北条氏や源頼朝、また日蓮聖人との所縁や史実も歴史の1ページに記されていたりします。

また、「南国の模型、風景の画廊」ってのも、伊豆半島の形成過程や、普段見かける何気ない地元の風景からも、十分頷けたりしますし、伊豆半島全体が一つの公園であり、「一つの大きい遊歩場」であることも、富士箱根伊豆国立公園に指定されている現代において、その考え方は脈々と生きている気がするのです。

しかし、案外地元の私たちは、川端康成のようには感じていなかったりします。

なぜか? 私たちは、きっと、知らなすぎるのかもしれません。

私たちは、実はあんまり「見たり、聞いたり、歩いたり」していないんだと思うのです。

旅人と地元の私たちの大きな差は、そこが「生活の場であるか?否か?」です。

生活の場では、生活に必要な行動や事象だけに関心が向いてしまい、周りまで目が届かないし、時間に追われて、わざわざ「見よう」「知ろう」としないのでは?と、私生活を振り返ってしまった私です。

この「見よう」「知ろう」が、伊東市ブランド研究会のテーマの一つでもある「伊東を掘り起こそう!」に繋がっていることに気づいたのは、つい最近のことでした。

見よう!知ろう!の源

ここ数年、私は伊東市内や伊豆エリアをたまに歩いています。
カメラを片手にテクテクと、山や海岸を歩くのが楽しみの一つです。
45歳を過ぎて、健康に気を遣うようになったという要因もありますが、何よりも、伊豆や伊東のいい場所を「見たく」「知りたく」なったのです。

まず、自分が知らなければ、伝えられない。

少しづつですが、ジオ関係の書籍や伊東の歴史本、ジオ検定や伊東市自然歴史案内人講座の過去問などに目を通したりするのも楽しく感じてきた今日この頃です。
きっと、実際に見たり、知識を入れると、だんだん面白くなってくるんでしょう。

では何故?「見たく」「知りたく」なったのか? 

多分、僕の場合、それらの経験や知識は「自分を裏切らないから」だと思うんです。
仕事や社会的関係性から離れて、好きな時間に、自分自身と自分が選んだコンテンツだけが向き合うだけなので、絶対的にストレスフリーなのです。
実際に苦労して坂道を登って辿り着いた絶景や、そこに纏わる知識は、荷物にならずに、必ず自分の財産になり続けます。
これって、きっと映画鑑賞や読書と似ているのかもしれません。

改めて見てみる

地元では使い古され、手垢にまみれた観光コンテンツに感じても、初見の人にはめちゃくちゃ魅力的だったり、地元では有名だし、見飽きた感があったとしても、案外都会では知られていないことって結構多いと実感しています。例えば、「伊東温泉」や「伊豆高原」という地域名だって、首都圏で知らない人が沢山いることも事実です。

それって、実は観光地にとって「伸びしろがある」ってことだと思いませんか?

地元のコトを、飽きずに見て、知って、誰かに伝え続けることが大切だと思うのです。
川端康成はその作品の大半を旅先で書いたと言われてます。彼は、当時の伊豆から見たら旅の文人であり、今風に言えばリモートワーカーだったでのしょう。
そんな旅人である彼の伊豆序説を記したような感覚や目線が、今、地元の私たちには必要だと強く思います。

人生は旅

よく、「人生は旅」と例えられます。
お釈迦様も、人生を旅に例えていますが、このフレーズ、どこかで見たことあるなぁ~と思っていたら、伊東市内のチェーン系ホテルのスリッパに書かれていたことを思い出しました(笑)

生活や仕事に追われている毎日ですが、人生は旅です。人は皆、旅人です。
だから、楽しい旅(人生)を歩くために、旅人の目線を忘れずに!

書いた人:伊東市観光課 中井智実

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